? Top message | 株式会社ファッズ [ PHAD'S ]

PHAD'S

ファッズ誕生の軌跡

chapter 01

サッカー選手を夢見た青春時代

イメージ 01

写真右/中学 岐阜大会優勝
写真下/全国高校サッカー選手権

イメージ 02

サッカーを通して身についた生き方

小2からサッカーを始め‘ブラジルでプロサッカー選手になる’という夢を持ちました。朝から日が暮れるまでサッカーボールと一緒の生活を送り、個人技のみを磨き続けていたところ、10歳の時、キャプテンを任されたことで仲間が大切だと考えるようになりました。また、その頃から仲間の長所を見抜き、誰もが適材適所で活躍出来るステージを準備する努力をしてきました。生き方の面でも、挨拶で始まり挨拶で終わる礼儀、感謝の気持ち、清掃の心を学びました。
18歳までのタイトル。
【個人タイトル】
・年間最優秀選手 2回
・年間ベストイレブン 2回
【チームタイトル】
・インターハイ 出場
・全国高校サッカー選手権 出場
・中京TV杯 全国2位

chapter 02

ブラジル・サンパウロでプロ契約

イメージ 01

写真/ブラジル・サンパウロ

イメージ 02

スラム街の家族、プロ契約、そして飲食業へ。

1994年。18歳でサッカー大国ブラジルへ渡り、5年間プロサッカー選手として活躍しました。この実績は後に海外で活躍する日本人サッカープレイヤーの先駆けとなりました。
しかし、初めから思い通りになったわけではありません。日本ではいくつものタイトルをつかんできましたが、ブラジルに渡って、言葉、文化の壁、日常茶飯事のいじめに夢を諦めかけたことがありました。そんな時、普段ライバルのチームメイトが僕を彼の実家に招待してくれたのです。その彼は僕をいじめていた中心人物でした。
そこは初めて見るスラム街。インフラが整っていない本当の世界の貧民街。彼の実家もまたレンガとトタンで造られた今にも崩れそうな家でした。
テーブルの上には御馳走が並び、しかし、小さな子供たちが「これ何?、これ何?、これ何?」とひと皿ずつ料理を指さしお母さんに聞く姿を見て、僕はハッとしました。その料理は子供たちにとって初めて見る料理だったのです。この家族は、僕を励ますために財産をはたいていたのです。
僕は勘違いをしていた。何が言葉や文化の壁だ、何がいじめだ、グランドは戦場、レギュラー争いは戦争。生きるか死ぬかの世界に飛び込んだのは自分じゃないか。その時、初めて世界で戦う心の準備が出来ました。帰り際に、彼の家族がガッツポーズで僕を送り出してくれたことを一生忘れません。僕がサンパウロでプロ契約し活躍するに至ったのはそのスラム街の家族との出会いの後のことです。
それから4年、怪我のため帰国することになりました。
帰国前に、あの家族にお礼を伝えたくて、スラム街に戻ったのですが、住所も無く広大なスラム街で家族の家を見つけることは出来ませんでした。元チームメイトも僕が移籍後、スラム街に戻ったと聞き、これで探すあてもなくなりました。病気になっても病院に行けないスラム街の平均寿命は40歳。あのご両親は生きていてくれるのかも分かりません。自分たちが過酷な生活を強いられてる中で、ただ甘えていた僕を豪華な食事で励ましてくれた事が忘れられません。
お礼をしないまま帰国した僕は飲食業を始めました。全てはあの家族にお礼をするために。

chapter 03

備長扇屋で売上No.1 最優秀エリアマネージャー

イメージ 01

写真/備長扇屋

想いを実現させるために焼鳥屋に修行に。

飲食未経験の僕はまず焼鳥屋に修行にいきました。サッカーしかやったことがなかったので、皿洗い、接客、調理、数値管理、食材管理など必死で学びました。美味しい焼鳥が焼けるようになったときは本当に嬉しかった。毎日アルバイトさん達と話し、何か改善し、お客様が喜んでくれる店作りに必死になっていました。今のファッズの幹部達はその時僕と一緒に働いていたアルバイトさんや同僚達です。
僕はその焼鳥屋で入社3ヶ月で店長に就任してその年の最優秀店長賞を受賞し、翌年異例のスピードでマネージャーに就任して最優秀マネージャー賞を受賞し、更に翌年、西日本250店舗を統括する西日本地区長に就任し、そこから独立までの27ヶ月を連続して西日本全体の既存店売上前年比クリアをやり遂げました。個人的にも焼師コンテスト全国大会で優勝、海外視察メンバーに選抜されるなど、様々な経験を積ませていただきました。入社時100店舗だったお店を独立までの4年間で350店舗の巨大チェーンに成長させていく過程で、その中心で現場の仕組み作りと営業に携われた経験は僕の財産となりました。

chapter 04

備長扇屋で売上No.1 最優秀エリアマネージャー

イメージ 01

写真左/ファッズの仲間たち
写真下/ファッズロゴ

イメージ 02

恩返しへの第一歩。

2006年5月2日、「食を通して世に貢献し私たち社員そして私たちに関わる全ての人が幸せになる事を目指す」を経営理念に掲げ、株式会社ファッズワールドフードプランを設立。
社名であるファッズ ワールドフードプランのPHAD‘Sは、Partner(仲間)、Heart(心)、Agora(今 [ポルトガル語])、Dream(夢)、Sanoizm(プロ意識)の頭文字で、これは私が大事にしたい5つです。
ワールドフードプランは’食を通した世界的な貢献‘を意味します。
ここに、ブラジルのスラム街の家族に恩返しをする第一歩を踏み出しました。

chapter 05

備長扇屋で売上No.1 最優秀エリアマネージャー

イメージ 01

写真右/とんぺら焼き、伝串
写真下/面倒くさいポテトサラダ

イメージ 02

商品開発は流通経路に関わる全ての人の幸せのために行う

「世界中の生産者から消費者まで、つまり、生産過程、流通過程、消費過程に関わる全ての人の幸福を考えた商品開発」、それが僕の考える食文化の創造です。伝串、とんぺら焼き、面倒くさいポテトサラダ、どる焼き、鶏とろ串…など、これまでに無かった商品の開発もその一環です。

chapter 06

備長扇屋で売上No.1 最優秀エリアマネージャー

イメージ 01

写真左/伝串ピラミッド

開発のコンセプトは「旨い」と「健康」

開発のコンセプトは「旨い」と「健康」
商品開発にあたっては「旨い」の追求は当然のところ、なぜコンセプトを「旨い」と「健康」にしたのか、この質問を多くいただきますが、それはブラジルのスラム街の家族を想ってのことです。
前記したように、ブラジルに渡り結果が出せずに悩んでいた頃、僕はチームメイトの家族から食事に招かれ励まされて、ブラジルでプロサッカー選手になる夢を叶えました。しかし、引退後、その家族にお礼を伝えることなく帰国しています。
その家族への感謝の念からブラジルのスラム街にお店を出すことを決めました。スラム街の平均寿命は40歳といわれ、その家族のご両親は今生きているのか分かりませんが、あの時の子供たちは生きていれば立派な大人になっています。スラム街にお店を出せば僕のことは分からなくても、もしかしたら偶然にでも来てくれるかもしれない。だから、開発コンセプトを「旨い」と「健康」にしました。
そのコンセプトの実現のため、伝串が完成するまでに8年もの時間を要しました。「健康」を追求すれば味が損なわれ、「旨い」を追求すれば「健康」が実現しない。実際に行った事は、完成した甘辛タレに10万円の万病に効くとされる高麗人参をたっぷり入れました。スパイスはプロテインを買ってきて作りました。何度繰り返しても美味しく出来ず、関係者誰からも次第に諦めの声が上がり始めるなど開発は前途多難でしたが一切の妥協を許さず試作を繰り返し、ついに伝串が完成しました。
皮は余分な脂を落としてコラーゲンのみを残し美味しいパリもち食感に。伝串専用のタレは高麗人参の臭みを消して美味しい甘辛タレに。伝串専用スパイスは大豆を主原料に塩分ゼロを実現しながらもピリッとしたスパイス感に。そして、伝串をより多くのお客様に食べて頂きたいという願いから、鶏皮の美味しいタイ国に伝串専用のライン(工場)を設置して貿易商を取得し自社輸入をすることでボリュームがありながら50円という価格を実現しました。
汗と涙と想いの結晶、「旨い」と「健康」にこだわり抜いた伝串です。

chapter 07

備長扇屋で売上No.1 最優秀エリアマネージャー

イメージ 01

写真左/新時代カップ
写真下/なおし塾・社内BBQ・ファッズ祭・焼串王選手権

人は楽しいところに集まる、はファッズの文化

僕は、「人は楽しいところに集まる」はファッズの文化だと考えています。各種イベント、コンテスト、合宿など、ファッズでは多くの行事を行っていますが、それ自体が文化なのです。
そして、文化は、社名の意味、経営理念、行動指針によって継承されます。

社名の意味
 P パートナー(仲間:Partner) 本気になれば本気で助け合える仲間が集まる。
 H ハート(心:Heart) 素直な心が自分と仲間を成長させる。
 A アゴーラ(今:Agora) 今動け!自分が動け!今動かぬは、先も動かぬ。
 D ドリーム(夢:Dream) 自分の夢は必ず実現させろ。
 S サノイズム(プロ意識:Sanoism) 自分は人を喜ばせて報酬を得るサービスのプロだ!
経営理念
 食を通して世に貢献し、私たち社員、そして私たちに関わる全ての人が幸せになる事を目指す。

行動指針
〔挨拶〕 挨拶をもって道を開き
〔感謝〕 感謝をもって道を整え
〔清掃〕 清掃をもって永代引き継ぐ

イメージ 02

ファッズでは、年間を通して様々イベントを行っています。ファッズに関わる全ての方がコミュニケーションをとり、幸せになるための土台となっています。

chapter 08

備長扇屋で売上No.1 最優秀エリアマネージャー

イメージ 01

写真右/共に働く仲間、支えてくれたブラジルの人々
写真下/原点となったブラジル、実印
ファッズの実印には今も
ファッズワールドフードプランの文字が入っている

イメージ 02

共に働く仲間と、その家族の人生を守る。

株式会社ファッズワールドフードプランの創業後、間もなくして仲間が増え始め、僕はある決断をしました。それは、今、目の前で共に働いてくれている社員とその家族の人生を守ることを優先するという決断です。
その時、自分の想いを一旦据え置くけじめとして、社名から“ワールドフードプラン”の文字を外し、ブラジルへの出店をその時が来るまで胸の奥にしまいました。
創業から3年目のこと、株式会社ファッズの誕生です。

chapter 09

備長扇屋で売上No.1 最優秀エリアマネージャー

イメージ 01

写真右/コンべンション集合

500の街を元気に

ブラジルへの出店を一旦据え置き、日本国内500店舗という新たな目標を設定しました。
出店の意義は街作り、僕たちが出店することで500の街を元気にし、また納税によって街の発展の一部を担う、と決意しました。
従って、500店舗までよそ見はせずひた走ります。